写真は2018年、大学構内にて。東京でこんなに降った年。
父のだだいまの声を聞いて突然自分の反抗期を思い出した。
中学生のころ自宅に戻ってもただいまを言わなかった。小学生のときまでは言っていたのだが急に必要性が感じられなくなったからだ。自分が家にいるかどうかは姿を見れば分かるし、玄関から遠い場所にいたら声が聞こえないのだから意味ないじゃん。そう思った。案の定両親からはお叱りを受けた。自分なりの考えを持っていたけれどそれを言語化する能力がなかったので理由は説明できなかった。とにかくなんであいさつをしなくてはいけないのか納得がいかなかった。ただいまは絶対に言わなくなった。
年を重ねて自分なりにあいさつの意味、というか意義がわかるようになった。家族との関係が良好ではなかったので気づかなかったけれど、人は好いている人に自分の存在を知らせたいものなのだと思う。あなたの大好きな人が帰ってきましたよと。恋人と同棲していたときはその気持ちが確かにあった。家に「来る」ではなくて「帰る」人であればただいまを言うだけで待っている相手は嬉しいし、安心するのだろう。
ただのあいさつでしょ?深く考えないですれば?と言われそうだが私は何に対しても何故と問いたくなるのだ。それは社会的規範なのかそれとも別の何かなのか。当たり前と言われるようなことにも意味や歴史があるので調べてみるとおもしろい。
今、中学生の自分にあいさつの必要性を説明するならなんと言えばいいだろうか。